排気音とともに、数名の女子学生が乗り込んできた。地域に新しい校舎が建ってから、この路線では制服を目にすることも多い。私は視線を向けぬよう俯き、そっと身を縮めた。胸元でネクタイがぐにゃりと歪む。彼女たちは小さな笑い声をこぼしながら私のすぐそばを通り過ぎ、バスの後方へと移動していく。混み合っているにもかかわらず、私の隣はぽつりと空いたまま、誰も腰を掛けようとはしなかった。彼女たちの内心で、「この席には座るまい」と判断が下されたということだ。行儀よく縮こまっている私の姿が、どこか滑稽に映ったのかもしれない。
数日前からつづく自意識の膨張に自覚的ではあったものの、私はその手綱を握ることができずにいた。誰かが目の前を通過するたび、うっすらとした劣等感に襲われる。移動のあいだずっと、神経質のなすがまま、みじめな気分を味わっていた。
ため息とともに降車口を出ると、歩道の熱気がまとわりついた。同じ停留所で降りた彼女たちはおしゃべりを続けている。背後から届く声の断片を、聞くともなく聞いてしまう。「ドライブに誘ってきた男がドアを開けてくれなかった」とか、「料金を割り勘にされた」とか。そんな話題が耳に届くたび、胸の奥が重くなった。
もとは誰かの誠実だったものが、いまでは作法だけが歩き出し、当然のように消費されるマナーになっている。欠ければ軽視と受け取られかねず、気遣いはため息を飲み込みながら差し出されるものとなる。思いやりはもはや取引の一形態でしかなく、誠実さを信じている夢想家だけが、虚構の善意にまんまとほだされ、弄ばれる。
結局のところ──異性に信頼を寄せること自体、幼稚なのだろう。
やがて交差点にさしかかったとき、私は思わず息を呑んだ。右手のすぐそばに、信号の押しボタンがあったからだ。いつもの癖で歩道の内側を歩いていた私は、自然とボタンの目の前で足を止めていた。つまり、後方の彼女たちを代表して押すのは、私の役割ということになる。
赤いボタンの中央は色が薄れ、浅いひっかき傷がいくつも走っている。手を伸ばす前だというのに、触れたときのざらついた感触が何度も頭を擦りつける。
──なんて、やるせないんだろう
胸の奥から、陰鬱と怒りが込み上げた。つまり私は──空っぽの気遣いで信頼を築こうとしながら、平然と私を通り過ぎるほうの性のために、この指を伸ばさなくてはならなかったということだ。
私は咄嗟の思いつきで鞄のなかをまさぐると、家のカギを探しあてた。その鋭い先端を、指の代わりにしてボタンを押そうとしたのだ──が、手が滑った。鍵は手のひらからすり抜け、冷たい音を立ててアスファルトに弾んだ。
「え、なにしてんの……」
背後から、彼女たちの視線が刺さった。ボタンの前で不審な行動をする私を中心に、空気が沈んでいく。
──なんで
なんで、あんなふうに突き放せるのだろう。
何度も、一緒にこの道を二人で歩いたはずなのに。大切にされていると信じていたのに。
私はついに堪えきれず、拾い上げた鍵を固く握りしめたまま、後ろにいた彼女へと歩み寄った。
「……なにしてんのってば、朱里」
彼女──倉田はそう繰り返し、きょとんとした表情を浮かべた。第一ボタンを外し、制服のネクタイをゆるく締めている。その後ろでは他のクラスメイトが、挨拶代わりに私へ小さく手を振っていた。
「……倉田、私のこと避けてない?」
「へ? ……いやいや、あんた朝は彼氏と二人で来るから気ぃ遣って……え、どうした」
目を見開いてあわてる倉田の姿が、かすかに滲み、頬を熱いものが伝った。
「……倉田が、『あいつは真面目で私好み』だって言ったから……もう男は信じない」
数日前まで一緒に登校していた彼は、当然のように車道側を歩く、少し大仰で律儀な人だった。だから右手にある横断ボタンを押すのは、いつも私の役目だったのだ。けれどその彼は、誠実どころか、一言も残さずに私から離れていった。ボタンのざらついた感触を思い出すたび、あの憎たらしい顔が浮かび、空転気味の気遣いを心地よく感じていた自分がみじめに思えてくる。
「あー、あいつダメだったか……ごめんなあ」
倉田は困ったように笑みを浮かべ、私の背を軽く叩いた。
「ひとりだと思い出しちゃうよな。明日はいっしょに来よ」
信号は青。校門はすぐそこだった。